7アマデウス弦楽四重奏団の想い出
その昔、アマデウスSQが名称を「AMADEUS」に決めたいきさつを耳にしたことがある。
様々な案の中に、ウィーンにゆかりのあるメンバーが、ロンドンに逃れて出会ったことから「ウィーン・ロンドン四重奏団」も候補に上った。だがそれでは、まるで汽車の時刻表みたいだとの意見が出て却下となった。
すると、セカンド・ヴァイオリンのニッセル氏が「アマデウス弦楽四重奏団はどうだろう?」と提案した。ヨーロッパの人たちに「AMADEUS(神の愛)」は心地よい言葉で、そのうえモーツアルトのミドルネームでもあることから「アマデウス弦楽四重奏団」に決まったという。
第二次世界大戦終結間もない頃の話で、現代の我々が思い浮かぶアメリカ映画(フィクション)とは何の関係もないことは言うまでもない。
僕がアマデウスSQと出会った頃は、全員がストラディバリウスを使用していた。その響きは目映く、彼らの輝かしい色彩は四本のストラディバリウスによるものと無縁ではないだろう。だが、レッスンの折には学生の楽器を弾いて、ストラディバリウスではなくとも魅力的な音楽を聴かせてくれた。
ブライニン氏は、僕が一人だとヴァイオリンをケースから取り出し、思うさま弾いてウォーミングアップしたが、おそらく楽器を奏でることで、僕に何かを伝えようとしていたのだと思う。名手が弾くストラディバリウスを、間近で聴けたのは素晴らしい経験だったが、それ以上の意味があったかもしれない。
ロヴェット氏も、いきなりバッハの無伴奏チェロ組曲を僕に弾いて聴かせ、感想を求めた。その際「素晴らしい」などと安易に答えたりすると嫌がられたが、これもまた、彼なりのレッスンだった。
2000年春に、レコーディングのためロヴェット氏とロンドンで10日間ほど一緒にいたが、彼は初日から、会えない日が一日だけあると言っていた。理由はBBCテレビにゲスト出演して音楽について語るので、その日は会えないということだった。
そのテレビ出演の前日になっても「明日はテレビで音楽について語らなければならない」と何度も言った。そこで僕が「嫌なの?」と問いかけると、彼は待ちかねたように「もちろん嫌だよ!音楽について語るなんて!」と言った。続けて「音楽について語るのは誰にでも出来る。音楽をする(tun)のが難しいのだ!」と語った。
もちろん音楽の精神的な事柄については多くを語ってくれたが、音楽そのものについては、常に実際の演奏を通じて教えてくれた。その際、僕が演奏すると「今、君が語ったことは、、、」と、僕の演奏にも sprechen(話す、語る)という言葉を使った。
言葉で音楽を語るのではなく、音楽家は音楽によって語る。
これもまた彼なりのレッスンだった。