16アマデウス弦楽四重奏団の想い出

マーティン・ロヴェット氏が今年の四月に天に召された。あまりの辛い出来事に、ロヴェット氏の死についてブログを書いたが、どうやら公開ボタンのクリックを押し忘れたようだが、それすら気が付かないでいたようだ。

ロヴェット氏が天に召されたことへの心の痛手は想像を超えるものだった。
実を言えば、2000年代になってからロヴェット氏と連絡をとるのが次第に怖くなっていた。ロヴェット氏の死を受け止める勇気が無かった為である。
彼はすでに高齢であり、手術を受けたことも知っていた。
そのアマデウスSQのメンバーが全て居なくなった世界に生きること、、、
そのようなことは想像したくもなかったが、それは現実のものとなった。

僕とアマデウスSQのことについて誰かに語ったとしても、信じてもらえるとは思わない。
そして、信じてもらう必要も感じてはいない。
彼らとの出会いで特筆すべきことは、人と人が「本当は理解しあえること」を初めて体験させて頂いたことだった。それまでは、誤解されないように努力を重ねていたが、結局は誤解のうちに終わるのが常だった。そして、それこそが人間関係だと思っていた。
したがって最初の頃は、彼らとの素晴らしい夢のような時間は、それまで同様、突然に破綻するものだと思っていて、そのことを常に恐れていた。
でもそれは、彼らとの関係に限って言えば杞憂に過ぎなかった。
プラハの詩人リルケが、音楽について「あらゆる言葉が絶えて初めて響く言葉。むなしく過ぎ行く心の方向に垂直にたつ時間」と言っている。
そういえば、アマデウスSQとは、ドイツ語や英語ではなく、更には日本語でもなく、音楽という言葉で語り合っていたように思う。
とりわけ彼らの前では、クラリネットを一吹きすればこと足りた。
彼らと交わす「あらゆる言葉が絶えて初めて響く言葉」は、人を傷つけることなく、ましてや誤解を招く心配もなかった。