6アマデウス弦楽四重奏団の想い出

多くのことをアマデウスSQから学んだが、その中でも「真実」についての話は特に印象深いものだった。

多くの日本人にとって、音楽のような芸術の学びの中で、いきなり真実という言葉を聞かされても、唐突感は否めないかもしれない。

十代の終わりころからゲーテやヘッセなどのドイツ文学に親しむ機会があった僕には、いつか真実については耳にするだろうとの予感はあった。

それでも、ロヴェット氏から「Musik(音楽)をtun(する)上で最も大切な事とは?」と問いかけられたとき、僕は「真実」という言葉を思いつくことが出来なかった。

ロヴェット氏は、それは表面的な完成美ではないと言った。しかもその完成美が、例えどのように音楽的だとしても、まだ不十分だとも言った。

堪りかねて「それでは、何が?」と僕は尋ねるしかなかった。

返ってきた言葉は『Wahrheit(真実)』だった。

続けて、それは言葉で語れるものではなく、真実を求める者が、その歩みの中で体験してゆくのだとも語っていた。

「音楽」を読んで字のごとく、「音」を「楽」しむ、と理解している日本人は多いのだが、アマデウスSQにとってのMusikという言葉には、音を楽しむという意味は全く存在しない。

ウィーン生まれの哲学者ヴィトゲンシュタインが〔命題は高貴な事柄を何一つ言い表すことが出来ない。言葉で言い表せぬものには沈黙せねばならぬ〕

と言うように「真実」について、ここでは安易に語ることは避けたい。

先ほどの、ロヴェット氏との対話から学んだ一例だが「真実」という言葉を耳にしてからは、彼らのレッスンを受ける僕の中に意識の変化が生まれた。

彼らはレッスンの中で自ら楽器を奏でることで、素晴らしい音楽の世界を体験させようとしているかのようだった。そして、彼らの前では常に魂のこもった、命のある表現が求められた。

ロヴェット氏とブラームスのクラリネット三重奏曲を練習している時のこと、ロヴェット氏がある箇所で「どうして私はこの箇所が上手く弾けないのだろうか?」と呟いた。それで僕たちはもう一度同じところをやることにしたが、ロヴェット氏は再び同じことを呟いた。

そのとき初めて問題がのみ込め、僕はおなじ箇所を再度お願いして、チェロを活かしきれる演奏を、全身全霊を込めて試みた。

すると、ロヴェット氏はようやく笑顔をみせた。ロヴェット氏は最初から分かっていたのだろう。そして、僕が気づくのを待っていたのだろう。

いつものアマデウスSQのレッスンのように、、、。