8アマデウス弦楽四重奏団の想い出

アマデウスSQのデビューは1948年1月10日の午後3時、ロンドンのウィグモア・ホール。
プログラムは
ベートーヴェン「ラズモフスキー 第三番」、ハイドン「五度」、ブリテンの「第三番」だった。

1983年、同じホールで、同じプログラムにより35周年記念の演奏会を行った。

1970年代後半から80年代にかけてのアマデウスSQの活躍には、目を見張はるものがあった。

1978年からはケルン音大教授として(特別な教授としてケルン音大に招聘されていると、他の教授から耳にしていたが、、、)頻繫に同音大ホールのステージに立った。
ケルン市内の楽器店窓には、彼らの新しいレコードが飾られていたが、1970年代終わりころから相次いで新しい録音がリリースされ、テレビやラジオでも、彼らの演奏が放送されていた。
(LPレコードからCDへの移行は1980年代に入ってからで、当初はLPレコード、CDが混在していた)

1980年代にはいると、ドイツ・グラモフォンがデビュー35周年記念として、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集(最後の5曲と大フーガ)を新たに録り直した。
更には、1983年に前述のウィグモア・ホールライブ盤をリリースし35周年を飾った。

ドイツ・グラモフォン以外にも、ブライニン氏とシドロフ氏がイギリス室内オーケストラと競演したモーツァルトの協奏交響曲が1983年にシャンドス・レコードにより収録され、また、CBSはマレイ・ペライアとのブラームスのピアノ四重奏曲を1986年に収録し、発売した。

1987年には、デッカによりベートーヴェンの弦楽四重奏曲「ラズモフスキー第三番」と「ハープ」が録音された。そして、これが最後のCDとなった。
実は、デッカは新たにベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を予定していたが、シドロフ氏の突然の逝去により、この最初の一枚が収録されたところで、かなわぬ夢となった。

彼らのエージェントは、新しいヴィオラ奏者で活動を継続することを望んだが、残されたメンバーにとってピーター・シドロフ以外のヴィオラは考えられなかった。
そうしてアマデウスSQは、40年間の栄光に自らの手で終止符を打った。

全てのスケジュールはキャンセルされたが、1987年のパリ・オペラ・コミック座で予定していた「アマデウスSQ結成40周年演奏会」だけはウィーン・アルバンベルク四重奏団の協力申し出もあり、弦楽六重奏曲で開催された。
アンコールとして演奏された ブラームスの弦楽六重奏曲 第一番 アンダンテ・マ・モデラートが始まると、突然、ロヴェット氏はシドロフ氏への葬送行進曲のように感じたという。だが、不思議なことに他のメンバーにもその思いは通じていた。
そして、このアンコール曲はシドロフ氏への葬送行進曲としてメンバー全員により捧げられた。