14アマデウス弦楽四重奏団の想い出

人の関係とは極めて不思議なものだ。
ドイツ留学の五年間で得た友人の数は、その五年間を除いた人生で得た友人の数を遥かに上回った。
もうあのような素晴らしい人間関係は、二度と築けるものではないだろう。
例えば、コンラートというクラリネットのドイツ人学生がいたが、彼は指揮者のインバルの、フランクフルト放響とマーラーの交響曲全曲録音時に、エキストラとして参加していた。
コンラートは初見が得意で、しかもピアノがそれなりに弾けたものだから、毎日のように、彼の伴奏でクラリネットを吹いたり、クラリネット・デュオを楽しんだりしていた。
ホルンのトーマスは、ケルン音大生だったが、既にボンの歌劇場オーケストラ奏者として音楽家のキャリアをスタートさせていた。
トーマスは定刻になると毎晩現れ、僕を学生街のビヤホールに誘い出しては、多くのことを話し合った。
二人はある意味において、貧乏学生の僕よりは音楽家としてキャリアが上だったが、二人の僕に対する態度は、それまで経験したことがないほど誠実で、紳士的だった。
それはアマデウスSQにも、全く同じことが言えた。

彼らの態度は、それまでの人生経験から得た常識とはまったくかけ離れたもので、他者に対する接し方においても、他者を理解することに関しても、驚くべき文化を持った人達だった。

そのようなことから、アマデウスSQのレッスンでは耳を疑うような言葉が投げかけられた。
今もって彼らから与えられた評価以上の言葉を、耳にしたことはない。
尊び敬うと書いて「尊敬」と言うが、英語のrespect(独 der Respekt)には、尊敬の他に敬意という意味があり、彼らの態度には他者に対する敬意を払う姿勢が見えて、紳士とはどの様な人物を指す言葉なのかを教えられた。
ブライニン氏は、演奏する度に涙を流しては僕を抱きしめた。
シドロフ氏は僕と顔を合わせる度に、前回のレッスンでの演奏を褒めてくれた。
ロヴェット氏はアマデウスSQが最後の輝きを放ち、多忙を極める中でも「一緒にやろうよ」と声をかけてくれた。
ニッセル氏はといえば、いつも穏やかな表情で、優しく見守ってくれていた。

それまでの人生経験から、このような関係は、たいてい良い意味での誤解から生じたものであり、ある日突然に終わりを告げるものだったが、このような人々にとっては、それは杞憂でしかなかった。

2001年に、ドイツ・シャルプラッテン(徳間ジャパン)から、モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲レコーディングのオファーを頂いた。
カルテットの相談も兼ねて、ロンドンのロヴェット氏に電話をかけた。
ロヴェット氏は「ニッセル氏と相談するから、一時間ほど待つように」と電話を切った。
一時間後にロヴェット氏から電話があり、ロンドン王立音大でニッセル氏のアシスタントを務める、コンテンポSQを「bestimmt gut」と言って紹介してくれた。
驚いたことにニッセル氏は録音に備え、二回もコンテンポSQにレッスンをして送り込んでくれたのだった。

コンテンポSQとのレコーディングは極めてスムーズに行うことが出来た。
通常、ブラームスの室内楽は合わせが容易ではないが、ニッセル氏のおかげで、離れた場所でそれぞれ削られた木組み細工が、持ち寄ってみればピタリと組み合わさったような感覚を覚えた。
ニッセル氏が、いったいどれだけ僕の音楽を理解していたのか、計り知れないものを感じた。
あの穏やかな表情の奥に、驚くべきものが秘められていたのを思い知らされた。