9アマデウス弦楽四重奏団の想い出
ここで再びアマデウスSQのメンバーを紹介したい。
第一ヴァイオリンはノーベルト・ブライニン。
第二ヴァイオリンはジークムント・ニッセル。
ヴィオラはピーター・シドロフ。
チェロがマーティン・ロヴェット。
そのシドロフ氏がロヴェット氏と、僕の学生用安アパートに遊びに来たことがある。
夕暮れ時に見えた二人のシルエットは、まるで夢をみているようだった。
ロヴェット氏はシドロフ氏よりも五歳下で、シドロフ氏をとても尊敬していた。
二人は路面電車に乗って来たが、シドロフ氏はロヴェット氏のチケットも持っていて、乗るときにロヴェット氏に手渡していた。
その光景は、まるで兄と弟のようでもあった。
貧乏学生の僕には、大したもてなしも出来なかったが、それでも彼らは愉しそうに僕の部屋で時間を過ごしていた。
二人はいつものように極めて控えめに酒を嗜んだ。
やがて時が過ぎ、再び路面電車で帰って行ったが、最初から最後まで、その姿勢は弟子に対する愛情に満ちたものだった。
紳士という言葉があるが、まさに彼らに相応しい言葉だった。
クラリネットにはブラームスの二曲のソナタがある。この曲は、歴史的なクラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルトのために書かれたものだった。
このミュールフェルトは音楽性に優れたヴァイオリン奏者でもあり、通常のクラリネット奏者には音楽的に手に余る名曲で、ブラームス自身によって、ヴィオラでも演奏出来るようになっていた。
したがって、ドイツに留学して間もない頃は、ミュールフェルトを除いては、ブラームスのクラリネット・ソナタは、ヴィオラで聴くべきだとさえ思っていた。
シドロフ氏のレッスンを受けようと思い立ったのは、そのような理由からだった。そして、それがアマデウスSQとの始まりだった。
シドロフ氏のレッスンは期待以上のものだった。
眼の前でシドロフ氏の演奏を聴くのは、それまでの、どのレッスンよりも音楽的な意味で勉強になった。
弦楽器奏者が右手に持った弓で、様々な音楽的表現をしているのを見るのは、管楽器奏者の僕には新鮮であり、刺激的で多くの学ぶべきものがあった。
しかも、それがシドロフ氏だから尚更だった。
シドロフ氏はまた、ソリストとしても活躍していた。
クラシック音楽専用のFM放送を常に聴いていたが、ある時、スイスかオーストリア辺りの音楽祭が放送されていた。
ドビュッシーのフルート、ヴィオラ、ハープによる曲で、演奏はペーター=ルーカス・グラーフ、ウルスラ・ホリガー、そして、ピーター・シドロフだった。
また、シドロフ氏はBBCテレビのライブ放送番組にも出演し、モーツァルトのケーゲルシュタット・トリオと、ブルッフのクラリネットとヴィオラのための二重協奏曲を演奏することになった。
出演者は、(指揮者名は忘れた)オーケストラはBBC、ピアニストはスティーブン・コヴァセヴィチ、クラリネットがシア・キングだった。
そこで、シドロフ氏から練習に付き合って欲しいと頼まれ、まだ学生だった僕が、シドロフ氏と一緒にこの二曲を練習させて頂くことになった。
一緒に音を出してみると、シドロフ氏のヴイオラは正真正銘ソリストのものだった。
一緒に練習するのは、レッスンを受けるのとは比べ物にならないほど勉強になった。
自分の音程(intonation)には、まだまだ勉強の余地があることを知った。
僕のintonationが少し高めになっても、シドロフ氏がピタリと合わせてくるようで、怖ささえ覚えた。
通常、ヴィオラとの室内楽では、音量のバランスに注意を払わなければならないのだが、どんなに吹いてもヴィオラが浮き上がって聴こえてくるように感じた。
それは音量だけではなく、音のクオリティによるものにも思えた。
後日、シドロフ氏に演奏会のライブ録音を聴かせて頂いたが、シドロフ氏の演奏は、やはり別格に感じさせられた。
それが僕には誇らしく、嬉しかった。