2アマデウス弦楽四重奏団の想い出
アマデウスSQがケルン音大の室内楽教授となって以降、頻繁に彼らの演奏会を聴くことが出来るようになった。
その演奏を聴く度に、アマデウスSQの演奏に魅了されたが、特にシドロフ氏のヴィオラには、何か心を惹き付けるられるものがあった。
シドロフ氏のヴィオラはファンタスティックだった。
ブライニンとシドロフ、この優れた、しかも異なる個性を持つヴァイオリン奏者のどちらに、第一ヴァイオリンを担当してもらうかを決めるのは、簡単ではなかったと耳にしたことがある。したがって、最初は曲により第一ヴァイオリンとヴィオラをそれぞれ交代して受け持ったらしい。
あるとき、ブライニン氏が僕に「私にはヴィオラは大きすぎる」と言って、ヴィオラを弾いてみせたことがある。
ブライニン氏が弾くヴィオラも、非常にチャーミングで素晴らしいものだったが、結局、シドロフ氏がヴィオラを担当することになった。
チェロのロヴェット氏は「シドロフ氏がヴィオラを担当することにより、中低音が充実し、どのようなコンサートホールでも通用するカルテットが誕生した」と語っていた。
シドロフ氏の弾くヴィオラは、その美しい弓さばきから生まれる豊潤な響きと、切れ味の鋭さが相まって見事だった。
そのシドロフ氏が1987年に突如逝去された。
その頃、ロヴェット氏が僕に語った言葉が忘れられない。
「今から音楽家としての栄光を与えよう。だが40年後に、このような悲しみが待ち受けていると知っていたなら、お前はこの人生を受けとるか?」、、、と。
シドロフ氏を失ったアマデウスSQの悲しみと落胆ぶりは相当なものだった。
ロンドン・ハムステッドにあるロヴェット氏の自宅2階の書斎には、ある肖像画がある。誰の目にもシドロフ氏と分かる見事な油絵だが、描いたのはロヴェット氏本人。
シドロフ氏が亡くなった翌日、涙を拭いながら描いたのだという。