3アマデウス弦楽四重奏団の想い出

アマデウスSQへの転科により、僕はクラリネットのハンス・D・クラウス先生の他に、アマデウスSQの4人の先生方の学生となった。
(アマデウスSQのメンバーとは、第一ヴァイオリンがノルベルト・ブライニン氏、第二ヴァイオリンがジークムント・ニッセル氏、ヴィオラはペーター・シドロフ氏、チェロのマルティン・ロヴェット氏という4人の奏者。大恩あるクラウス氏のことは、またあらためて述べさせて頂く)
当時のケルン音大生の間では、ある意味で最もオーソドックスとも言えるニッセル氏のレッスンが人気だったが、他の3人の個性的なレッスンに僕は興味を抱いていた。
なかでも「ブラボー!」としか言わなかったシドロフ氏には、深い想い出がある。
僕がドイツに留学した頃、世界の管楽器界では、ホルンのペーター・ダム、オーボエのハインツ・ホリガー、ファゴットのクラウス・トゥーネマンなど、それまで聴いたことも無い新しいスタイルで演奏するアーティストが相次いで登場していた。
どのようにしたらそのような奏法が可能になるのか、その頃の僕には最大の関心事だった。
それは、ケルン音大入学後1ヶ月も経たない頃から、新奏法が学べる先生を探す行動へと移っていった。
若造が生意気だとの批判があり、その批判は僕にも理解出来たが、自分の思いを抑えきることは出来なかった。
だが、、、シドロフ先生はレッスンの最中に、まるで僕の心の中を見透すかのように、たった一言「僕には分かるよ」と言い、ウィンクして驚かせた。
それから一年が経過した頃だろうか、クラウス氏の指導のもと、新しい奏法が身に付き始めていた僕は、シドロフ氏の前でブラームスのクラリネット三重奏曲を吹いていた。
すると突然、次のように言って僕の演奏を遮った。
「よくそれだけ勉強したね。さあ、始めよう!」と。
以来、シドロフ氏の口からブラボーの言葉は一切聞かれなくなった。
その時、僕はとっさに悟った。シドロフ氏は、僕のクラリネットを聴いただけで全てが呑み込めていたのだろう。僕は何を表現したいのか、そして、それには何が足りないのか。
何が、どのように出来ていないのか、、、と。
それは驚き以外の何物でもないが、シドロフ氏は忍耐強く僕の演奏に耳を傾けていたこと、そして、それがどのように変化していったかを、的確に観察していたであろうことに気付かされ、恐ろしさすら覚えた。
以来、僕はシドロフ先生に全幅の信頼を置くようになった。
シドロフ氏から「今日から君は僕たちのクラスの学生だ!」と告げられたのは、それから間もない頃だった。