1アマデウス弦楽四重奏団の想い出
以前から、アマデウス弦楽四重奏団について語りたいと思っていた。それが、彼らから与えられた言葉に尽くせぬ恩義に報いる、僕の使命だと思うからだ。
クラリネットを学ぶためにドイツ留学したが、ある日突然、ヴィオラのシドロフ氏から「今日から君は僕たちのクラスの学生だ。もう学長とは話しをつけたから」と言われ、アマデウス弦楽四重奏団の正式な学生となった。
(その後、正式に転科試験を受けた。クラリネットは、まだ無名に近かったH.D.クラウス氏が、内弟子として五年間無償で熱心に指導して下さった)
僕が始めてアマデウス弦楽四重団と出会ったのは1978年のことだった。(以下、アマデウスSQと省略)それ以前から、アマデウスSQがケルン音大の室内楽教授として新たに赴任するという噂は耳にしていた。
当時はマックス・ロスタルがケルン音大のヴァイオリン教授で、アマデウスSQの師でもあった。このロスタル教授がアマデウスSQのケルン音大の招聘に一役買った。ロスタル教授は、その功績により定年を延長できたともっぱらの噂だった。
ところで、アマデウスSQがロスタル教授の誘いに応じたのは、メンバーの健康問題と無縁ではない。
アマデウスSQは年間150回程度の演奏会をこなしていたという。だが、メンバーひとりの健康問題が持ちあがり(内容については耳にしているが、プライバシーに関することであり、ここでは伏せる)、年間50回に押さえることになったらしい。そこで、時間的余裕が生まれたアマデウスSQを、ケルン音大が特別待遇で招聘したということだった。
それ以降も、アマデウスSQの活躍ぶりには目を見張るものがあった。教育に、レコーディングに、そしてメンバー各々がソリスト、或いは他のアーティストとの競演にと、その活躍の場は更に広がって行くようにみえた。
かくいう僕も、ロヴェット氏とのクラリネットとチェロ、ピアノのための三重奏演奏会のチャンスを頂けることになった。
アマデウスSQとの想い出は、尽きることがない。