11アマデウス弦楽四重奏団の想い出
ブライニン氏はピアノから学び始めたという。
もっとも、この話を語ってくれたロヴェット氏も、即興でピアノの腕前を披露したことがある。
また、ピアノからスタートした後に弦楽器を手にするのは、知り合いの弦楽器奏者たちにもよくある事だった。
ロヴェット氏がこのような話を語ってくれたのは、それなりに深い意味があったかもしれない。
とにかくロヴェット氏の話は、よくよく考えねばならないことが多かった。
ブライニン氏は「私は、ウィーンの伝統的ヴァイオリン奏法を学んだが、今では、この奏法で弾ける者は誰もいなくなった」と呟いたのを覚えている。
40年以上前に耳にした話だが、ブライニン氏がカール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクール優勝者だと誰かが言っていた。
だからといって、彼のヴァイオリンに魅せられるのは、ブライニン氏の個性的で豊かな音楽性によるものが大きいからだが、ウィーンの奏法に負うところも、決して少なくないであろう。
モーツアルトのクラリネットとヴィオラ、ピアノのための三重奏曲「ケーゲルシュタット・トリオ」では、ブライニン氏は自らヴァイオリンを弾き、更にはヴィオラまで弾いて指導した。
ピアノに対しても、ペダルへの絶妙なアドバイスをおくり、僕たちを驚かせた。
また、クラリネットが和声の中の同じ音を、一小節以上にわたりピアニッシモで吹いていると、「音楽が少なすぎる」と、いかにも嫌そうな顔で言った。
それなりに神経を使って、繊細な弱音で吹いていたつもりだったが、とかく日本では歌いすぎると言われる事が多いだけに、音楽が少なすぎるとの指摘は、むしろ心地よいものだった。
そこで、おなじ個所をできる限りのニュアンスで吹くと、ブライニン氏は笑顔で大きく頷いた。
ブライニン氏に限らず、アマデウスSQは美しいだけの演奏を嫌った。
それぞれの曲ごとに秘められている真実が求められた。
それは、容易に言葉で言い表せるものではないが、常に心で「何が最も大切か?」を考えねばならなかった。
ただ良い音だけでなく、必要に応じて、憂いや悲しみに満ちた音、荒々しさ、更には滑稽さまでもが求められた。
「名演により、聴衆の涙を誘うのは簡単ではない。だが、名演により、聴衆を微笑ませるのは更に簡単なことではない」とロヴェット氏が言っていたのを覚えている。
音楽的表現が誰かのイミテーションではなく、徹底的に自分自身の言葉(演奏)で語らねばならなかった。
しかし、ひとたび彼らの琴線に触れる演奏が出来たなら、それはもう、経験のないような喜びようで、大いに、、、それこそ大いに褒められた。