10アマデウス弦楽四重奏団の想い出
もう何十年も前の話だから、正確な年齢や金額は忘れてしまったが、マーティン・ロヴェット氏が、チェロを学び始めた経緯について伺ったことがある。
ある年齢(聞いたが失念)のバースデー・プレゼントとして、チェロを買ってもらえることになった。
それは、前々からチェロを学びたいと願っていたマーティン少年に、そのチャンスが訪れたことを意味していた。
ロヴェット氏の父は、ロンドン交響楽団のチェリストだった。
ロヴェット氏は、1927年生まれ。
それは、第一次世界大戦は終結したものの、やがて第二次世界大戦が迫りこようとする時代だった。
そのような時代背景からか、ロヴェット氏の父は、当初、息子がチェロを学ぶことには消極的だった。
それでも、誕生日にお父さんから、「近くの楽器店で、チェロがバーゲンで60ポンド(確か、この金額)で売りに出されている」と、お金を手渡され、購入することが許された。
だが、チェロを学び始めると、ロヴェット氏の父は息子の才能に気が付き、態度が一変したという。
父は、仕事から帰宅するなり、「今日は練習を何時間したか?」と尋ねるようになった。
するとマーティン少年は、決まって練習時間を倍にして、1時間なら2時間、2時間なら4時間練習したと答えたという。
その話を聞いた僕は大笑いして、それで、お父さんは?と尋ねると、「いつも満足していたよ」と笑顔で教えてくれた。
アマデウスSQから学んだことは、真実と愛。それから少しのユーモアだった。
真実については既に述べたが、愛についても、いきなりこの言葉を口にするには、僕自身にも抵抗感はある。だが、メニューインなどの芸術家からは、愛についての発言をしばしば耳にしていたし、ゲーテなどの文学作品からも目にはしていた。だが、それがどの様な意味かは、それまで全く理解出来ていなかった。
母の愛については、僕自身の経験を話すまでもなく、どこの家庭でも、一方的に子供に与えられることは知っていると思うが、アマデウスという名前に由来するからだろうか?彼らからも何か母の愛に通ずるようなものを感じた。
僕は、その愛を受けるに値する者かどうかを、自ら厳しく吟味する必要はなく、ただひたすら享受するだけでよかった。
アマデウスSQは、様々な興味深い話をレッスン室の内外で語ってくれた。
それは、音大の廊下であったり、Mensaと呼ばれる学生食堂だったり、あるいはレストランでもあった。
特にロヴェット氏は頻繫に僕を誘い出し、貧乏学生がおいそれとは行けないレストランでご馳走してくれた。
その折の決まり文句は「値段を見ずに食べたいものを!」だった。
人は、その人生の中で、しばしば高い評価を受けたかと思えば、こっぴどく批判を受けたりもする。
だが、アマデウスSQからは、いつも、有り得ない程の高い評価を一方的に受けるばかりだった。
人生の中で、いまだかつて、彼らより高い評価を受けたことはなく、自分が受け入れられる喜びを、これほどまでに感じたことはなかった。
彼らのような巨匠から、理解され評価でもされようものなら、、誰でも自惚れることなど出来はしないだろう。
僕も、ただただ恐縮しては、いつも自らの襟を正すばかりだった。
1999年にも、突然ロヴェット氏から電話があり、翌年春のロンドンでのレコーディングに招かれた。
それもまた、いつものように、ただその好意に甘えればよいだけだった。